自分という人生

私は、私として生きている。

生まれた頃からそうだった。自分の顔は、鏡を通してしか見ることができない。

母も、妹も、友達も、おじいちゃんも、最寄り駅の駅員さんたちも、どこかの偉い人も、それぞれの自分という人格を持って人生を送っている。

なぜ、今、私として生きているのか。

もしかしたら、アメリカで名門校に通うイケメンだったかもしれない。

ドイツで女優になるためにたくさんオーディションを受けていたかもしれない。

もしくは、どこか荒れた街で薬物とか売っていたかもしれない。

いろいろな可能性があったかもしれない中、福祉を学んでいて、将来もその道に進もうとしている日本の女子大生になっている。

これが将来どう影響するかわからない。今のところ、それなりに幸せに生きているが、いつか人生が嫌で嫌でしょうがなくなるかもしれない。しかし、だからといって、幸せそうな人の人生と取って代わるなんてことはできない。

私は私で、私でしかない。

私の行動を決めるのも私。時計を見て寝ようと思うのも私。図書館に行こうと予定するのも私。他の誰かの声も聞くけど、最終決定を下すのも私。

私は、私のために、しっかりしなければいけないんだな。

そんなことをふと考えるのは、人生の大きな分かれ道を目の前に尻込みしているからだろうか。