これからどうするか

コロナウイルスで、生活のしかたが大きく変わった。

一時的なものかもしれない。ウイルスとの闘いの日々が終わったら(それにはずいぶんと長い時間がかかりそうだが)、また何ヶ月か前のように、休日には街には人がごった返す、平日は通勤ラッシュ当たり前な日々が復活するのかもしれない。

けれど、少なくとも今はそれはできない。自粛自粛。自粛ムード。

食材の買い出しや出勤以外の外出(服を買うとか、本屋に行くとか)は、なんとなく罪悪感を覚えてしまう。

他の誰かがすでに考えたり発信しているかもしれないが、ここ何ヶ月かの生活は、「働き方改革」ならぬ、「生き方改革」「在り方改革」を全国どころか地球レベルで行っているように感じている。

今まで不動のものと思っていた価値観が、習慣が、スタイルが、全てがストップしている(少しずつ緩和していくらしいが)。その状況下でどうにか生き抜かなければならない。

 

私はもともと休日にどこかに遊びに行きまくるようなタイプではなかったし、介護系の仕事なのもあり、仕事事態はあまり変化がなく、むしろテレワークが少し羨ましかったりもする。

けれど、テレワークもそれはそれで、オンオフが曖昧になって大変なのだろうとは感じる。隣の芝生は青い。

今はそれぞれ、自分たちができることをやっていくしかないのだろう。

手を洗う。外出は最小限。他にもいろいろ。

 

コロナウイルスがおさまったころには、どんな生活があるのだろう。

仕事の在り方、休日の過ごし方、どう変わるのだろう。

東京五輪は無事来年できるのか?

先が見えない。

けれども、私たちは生きている。

生きていくしかない。

そんな気がしている。

千葉へ。旅はリセット効果があるようだ

先日、旅行ではない用事で千葉に行った。

千葉はせいぜいディズニーランドに行ったことがあるくらいで、他は全く知らない。せいぜい船橋ふなっしー

しかも、今回千葉に行ったのは観光とかではなく、職場命令で数日出張しなければならなかった。だから、観光しようにも、そこにはショッピングモールが駅の近くにあるだけで、他は特に何もない。

わざわざ滞在しなくとも、片道1時間半前後かければそこにたどり着けたのだが、いちいち電車に乗って人混みをかきわけたり、遅延や事故を心配するのも億劫だったので、ビジネスホテルに数日泊まってしまうことにした。

2年前に行った京都旅行では1泊だったのに対し、今回は3泊(!)。出張というなんだか憂鬱なことが、それだけで少しわくわくできた。

見知らぬ地。いつもと違う部屋。はじめてのホテルの連泊。それなのに、なんだか心が軽くなる心地だった。

家事の心配をしなくていい。掃除も自分でしっかりしなくていい。身の回りのことを自分でしなくていい。とても気楽だった。逆に言えば、意外に家事が負担になっているのかもしれない。

ホテルの部屋でくつろぎつつ、シングルタイプの部屋はなんだか居心地がいいことに気づいた。なぜだろうと考えてみる。余計なものがない。ちらかっていない。このことが大きいような気がした。

出張中のある日、ショッピングモールのフードコートで昼食をとった。ふと周りを見渡すと、ハンバーガーを頬張る親子、アイスやドリンク片手におしゃべりに興じる高校生くらいの少年少女、受験勉強をしている少年、うどんを注文している老夫婦などなど、いろいろな人がいた。

コロナ騒ぎでなんとなく落ち着かないムードがありつつ、しかしそこにはいつもと変わらない日常があるのだと感じた。いつもと同じように買い物をし、ご飯を食べている。たったそれだけのことなのに、日常というのはこんなにも繊細なものなのかと、妙に愛おしく感じた。

コロナの影響でいろんなことが延期になったり中止になっている。このことが悲しくもなった。

出張を終え、帰宅する。自分の部屋がなぜごちゃついているように感じているのかわかったような気がして、早く模様替えしたくてうずうずしていた。あれはここに置いたらいいのではないか。これをここに移動させたら使いやすくなるのではないか。そんなことを妄想し、実際帰ってから夕食をとったあと、行動に移した。

今の所、それによって不便にはなっていない。むしろ、動線がスムーズになったように感じる。

今回は出張だったが、結果的に「旅」のような日々を過ごせた。

昨年は台風やら仕事の都合であまり遠出できなかったが、私にとって旅行は、結構重要なものかもしれないとの思いに至った。実際、心の中のほこりのようなものが全部掃き出されたような、すっきりした気持ちがある。これからは意識的にどこかに出かけてみたい。そうだ、都道府県それぞれ行ってみたい。そんなアイデアが浮かんでいる。

どの県にどんな遺産や名物があるか、ほとんど知らない。遺産や名物関係なく、ただ行きたいところもある。「行ってみたいところリスト」でも作ってみようか。

千葉に出張という機会を与えられなければ、そんなこと、思いもしなかっただろう。

最初は「遠くてめんどくさい」と思っていたが、今は、出張の内容もあり、「行ってよかった」と思っている。このきっかけに、感謝。

他人の部屋について、気にならなくなった。その理由

少し前まで、雑誌によくある「素敵なあの人のお部屋公開」みたいな記事をよく見ていた。

今も本屋で見かけると、つい気になってめくってみるが、以前ほどじっくり見なくなった。興味が薄くなった、とでもいおうか。

 

よく考えると、一人暮らしによって「個室」を手に入れ、さらに好きなデザインの家具やお気に入りの小物を持つようになったことが大きいかも。

今住んでいる部屋は、賃貸アパートで、少しコンロに年季が入っていて、使い勝手が悪い部分もあるが、それでも私にとって、ここは「お城」だという感覚がある。

「お城」を好きなように飾りつけ、誰にも邪魔されることはない。

満足しているから、誰がどんな部屋に住んでいるのか、何を持っているのか、以前ほど気にならなくなったのかもしれない。

それでも「やっぱりここはこうがいい、もっとこういうところがいい」ということもあるが、「お城」の居心地がいいから、しばらくはここで生活するのだろう。

 

 

秋の月に

最近、急に涼しくなった。

涼しくなったというより、むしろ寒くなった。

ちょっと前まで半袖で、「この冬またちゃんと寒くなるの?」と思うこともあったのが、まるでうそのようだ。

いまや、末端が冷えやすい両手には、手袋が欲しくなる。いずれ冬物のコートが欲しくなるだろう。

 

最近は、月がとてもきれい。

さいころからずっと当たり前に夜空にあったけれど、この寒い時期は、よりきれいな気がする。

輝き方がちがう。

輪郭がくっきりしているような気がする。

吸い込まれそうになる。

届かないとわかっているのに、手を伸ばしてみたくなる。

遅番で帰りが遅い時、空を見上げると、月がある。星も、少し見える。月の美しさに、バスに乗り遅れないようにいそいでいるのに、足が止まりそうになる。

今は当たり前にある電灯や街灯がなければ、もっと星が見えるのだろうか。

満天の星空に、恋い焦がれる自分がいる。

きんもくせい

あの、テレビも周りも、「今回ばかりは大変だ。用心せよ!」と警報を鳴らしていた台風19号が過ぎ去って、数日後のこと。

幸い、自分の住む地域や職場、実家は、窓が割れるとか、停電するとか、そういった被害はなかった。ほっとした反面、そういった被害に遭った人々の思いを考えると、なんだか今自分が安全であることが喜べないでいる。

そんな思いを抱いて、週明けのこと。

いつものように、職場へ向かっていた。いつもの道を、いつものように歩く。

ふわり、と、いつもと違う香りがした。

ふと、香りのしたほうを探すと、いつも通る道の、いつも横切る木に、小さなオレンジ色の花が咲いていた。

見たことある花。嗅いだことのある花。

きんもくせいだった。

去年もずっと、同じ道を通っていたのに、気づかなかった。その香りにも、存在にも。

台風は、いろんなものを吹き飛ばしていったが、この道に漂っていた余分な臭いも、吹き飛ばしていったのだろうか。そんなことを思いながら、ふわりと甘い、きんもくせいの香りを嬉しく思った。

絵をみること、かくこと

先日、ある方の個展に行ってきた。

 

海の気配のする場所。はじめて行く場所。スマホ片手に、この道で合ってるだろうか?と少々不安になりながら、うねうねした道を進む。

ふと見ると、目指していた個展の案内版があった。

わくわくと、どきどきで、なんだかふわふわするような感じを覚えて階段を上り、その個展にたどりついた。

その個展には、猫を中心とした、パステルの作品が展示されていた。

まるで写真かと思うようなもの、ゆるっとしたもの。いろいろな表情の動物たちが、そこにはいた。

遠目で見てみたり、近づいてみたり。細かく描いているようで、実は大胆に描かれていたり。そしてやはり細かく描いてると思ったり。

作品を見ているうちに、他のお客さんが去っていき、作家さんと2人きりになるタイミングがあった。

「猫や絵が好き」という共通点をもとに、少しの会話。そして、台風の心配のこと。

思えば、「作家さん」という存在とお話しするのは、はじめてだった。

個展に行く、ということも、はじめてだったと思う。

サインをいただく、ということも、はじめてだった。

人生初、が連発していた。

帰りの電車で、「やっぱり帳簿に名前と住所書いたらよかったかな?サイン、せっかくなら8月のページ(個展でカレンダーを買った。8月は誕生月)にもいただけばよかったかな?」と若干の後悔を覚えつつ帰路へついた。しかし、それ以上に、「行ってよかたな」という気持ちがあった。

絵をみることも、かくことも好きだ。それを再認識した。

絵をみることは、最近よくするようになった。いろんな展覧会が気になる。

絵をかくこと、復活したいと思った。今たまにやってる落書きだけでなくて、何か本格的な作品を1つ、描いてみたいと思った。

絵を描く、ということは、結構根気や時間がいる。いつからか、「こんな絵、見せられない」という感覚が芽生えてきていた。高校のときはイラスト部で、よく絵を見せ合ったり、大学時代に、友達に頼まれてアニメキャラクターの絵を少し描いたのが最後か。

少し、リハビリが必要かもしれない。「描きたいから描く」をできるように。

学びたい、走りたい

ここしばらく、「英語や介護の勉強をしたい」と思っている。

前者は、英語ができない歯がゆさをここ近年感じたため。

後者は、職業柄。かつ、大学時代できなかったこと。

 

英語について。

ここ近年、外国籍の方と交流する機会を得て、現在も月1、2日くらいで会う。少しの挨拶くらいならなんとかなるが、How are you?と聞かれた時に、I'm fine.以外の答え(例えば、「今日は夜勤明けで、少し眠いです」)ができないことが、なんだか申し訳ないと思った。英語での会話に全く入れないのも、なんだか寂しい。

さらに来年は東京オリンピック。近い将来、英語を話す人が今よりもっとこの日本で仕事したり、暮らしたりするかもしれない。何かのきっかけで、自分が海外に行くかもしれない。

今は職場では英語は必要ない。利用者さんや家族は皆日本人。しかし、もしかしたらいずれ、日本語が全くわからない人がやってくるかもしれない。日本語にしか馴染みがないから、たどたどしくなると思うが、日常会話くらいは話せるようになりたい気がする。

 

介護の勉強のこと。

職業柄、福祉や介護の知識が必要。職場の研修や先輩・上司の指導等で、一応一通りのことはできる。知識としても、なんとなくはある。しかし、もっと形のあるものが欲しくなった。介護福祉士、という資格だ。

本来なら、大学時代にとれないこともなかった。しかし、「マルチタスク」がとことんできない私は、当時社会福祉士の勉強に絞った。結果、社会福祉士の国家試験を合格できたので、後悔はない。しかし、「やっぱりとりたかったな」という気持ちがくすぶっている。それが今の職場に就職してからもずっとくすぶっている。

 

それからもう一つ。走りたい。

きっかけは、NHKの「筋肉体操」や大河ドラマ「いだてん」

まず、「筋肉体操」で、体を動かすのは意外に楽しいということに気づいた。運動音痴で、体育という授業はとことん苦手で、そのせいで運動なんて嫌いだと思っていたのに。これのおかげで「体を動かすのは好き。体育の授業のありかたが合わなかったんだ」と思えるようになった。できる子と比べられてしまうのが、苦痛だったのだ。

「いだてん」では、金栗四三さんに触発され、ちょっと仕事帰りに走ってみたら、なんだか気持ち良かった。「学校ではスッスッハーで習ったけど、金栗さんのスッスッハッハーの方が、自分には走りやすいぞ!?」とびっくりした。

出勤前の数分で軽く筋トレしてみたり、たいした距離は走れないけど、時々仕事帰りに走ったりしてみたら、なんだか猫背が改善された気がする。

次第に、近くの川沿いを走ってみたいと思うようになった。

人生どうなるかわからないものだ。

 

勉強も走ることも、いまは「したい」だけで、具体的にどうしたらいいかはまだわからない。けれど、最近英語の単語帳を買ってみた。介護福祉士の受験資格に必要な実務者研修について、上司に相談してみた。川沿いを定期的に散歩することからはじめてみようと思っている。

これからどうなるだろうか。

この3つ、どうにか自分のものにしたい気がする。